大野町の産土神として崇められてきた威厳と風格を持つ神社です。
起源は、聖武天皇の天平5年6月(733)加賀国の人、道高古(伝不明)が、近江国の日枝山大山咋神(日吉大社・「東本宮は大山咋神」「西本宮は三輪大物主神」)より神徳に感じ、この大野の地に奉斎されたといわれる。貞観2年(860)三輪大物主神を合祀し、山門、護摩堂、鐘楼等を建て、日吉山王大権現と称した。 日吉神社となったのは明治7年3月(1874)。これは明治政府の指針によるもので、神仏分離により神社から仏教的なものを払拭するため。 日吉神社の境内には、寛政期末から文化期(1792〜1818頃)に北前船、大野船団・丸屋傳右衛門、傳四郎が奉納した、狛犬や御神灯、からくり師といわれた大野弁吉翁の屋敷跡碑も立っています。また神社の裏手には日和山遊歩道もあり、そこから眺める夕日は絶景。
年一度の祭礼「山王祭」は7月の第4土・日曜日に厳かに行われる。この祭りで行われる「山王悪魔払い」は金沢市無形民俗文化財となっており、山伏姿の勇ましいいでたちで、魔除けの舞として演じられる古典味豊かな伝統芸能。弓矢を持つ般若、まさかりを持つ翁、刀を持つ天狗が法螺貝や笛・太鼓の囃子と共に、時には身を隠すように、時には走り出すように勢いよく舞う。
加賀藩主前田家ゆかりの湊の守護神。
起源は、聖武天皇神亀4年(727)猿田彦大神を、既に鎮座されていた神明社(祭神・天照大神)の傍に勧請したのが始まりといわれている。この神明社の創設は不詳であるが、あらたに猿田彦大神を天照大神と合祀されてより、この社を大野郷(旧宮腰・現在の金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。後深草天皇建長4年(1252)社殿炎上により、東八丁をへだてた離宮八幡宮(現在地)に奉遷され今日に至る。
歴代朝廷、武将の尊崇篤く、特に加賀藩主前田利家公は任国の際、本陣となったこの社の荒廃を憂い、宮腰をはじめ十五ヶ村にその総社として祭資を供進させて社殿を再興。二代前田利長公は毎年の神事能興行の例をつくり、また三代前田利常公は、寛永16年(1639)社殿を造営し、氏子村を増加させるなど、歴代藩主の崇敬きわめて篤く加賀藩五社の筆頭の位置にあった。慶長9年に創始された「神事能」は、加賀藩の2代藩主、前田利長が合戦に勝利したお礼に能を奉納したのが始まりとされ、金沢市の無形民俗文化財に指定されており、毎年5月15日に行われます。
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